2010年12月13日月曜日

今季ユニフォームを脱いだ選手たち2010①

新人豊作の年と言われた2010年のメジャーリーグでしたが逆に多くの選手たちが引退を決意しました。そんな今季ユニフォームを脱いだ選手たちをピックアップしていきたいと思います。

1、ブライアン・ジャイルズ(インディアンズ~パイレーツ~パドレス)



抜群の選球眼とパンチあふれる打撃で活躍した外野手。プロ入りはインディアンスでしたが当時スター選手であったケニ―・ロフトンやマニー・ラミレスら牙城を崩すことができず、レギュラーにはなれませんでした。しかし、98年オフにパイレーツに移籍すると状況は一変。移籍初年度の99年にいきなり39本塁打を放ち、一躍トップ選手になりました。その後、2002年まで4年連続で35本塁打以上を記録しました。中でも02年はともにバリー・ボンズに次ぐリーグ2位の出塁率4割5分、長打率6割2分2厘を記録。同年ベストセラーになった「マネー・ボール」でも取り上げられました。長打力もさることながら彼のもう一つの魅力は選球眼。パイレーツ在籍時代の00年と02年には100個以上の四球を選ぶ一方で毎年三振を70個前後にとどめるなど非常にいやらしい打者でもありました。03年途中にパドレスに移籍してからも活躍。広いぺトコ・パークを本拠にしているため本塁打は20本ほどまで減りましたが、選球眼は健在で05年にはリーグ最多の119四球(64三振)を選びチームの地区優勝に大きく貢献しました。しかし、09年シーズンは右ひざのけがに苦しみ打率1割台と低迷。今季はドジャーズのキャンプに招待選手として参加しましたがけがの回復具合がおもわしくなく、引退となりました。今後しばらくは家族との時間を大切にしたいとのことです。

2、ジェフ・ジェンキンス(ブルワーズ~フィリーズ)



弱小ブルワーズを引っ張った左の大砲。南カリフォルニア大時代にマーク・マグワイアの持っていた大学通算本塁打記録を塗り替え、95年ドラフト1位でブルワーズに入団。98年に昇格すると99年から2年続けて9割以上のOPSを記録。99年には自己最多の34本塁打を放ちます。しかし、その後はけがなども有り、満足のいく成績を収められないシーズンが続きます。さらに、選球眼が悪かったため毎年三振王の常連になるなどし、放出の噂もささやかれ始めます。しかし、まじめな練習態度やリーダーシップなどといった面で評価が高く、若手の指南役としてチームをまとめます。ファンにも愛され、チームの顔であったジェンキンスでしたが07年オフにチームからオプションを破棄され、退団。翌シーズンはフィリーズでプレーしましたが、9本塁打に終わるなど低迷。しかし、ミルウォーキーでの試合でファンから盛大なスタンディング・オベーションを受けたり、自己初の世界一を経験したりと、思い出深いシーズンにもなりました。しかし、翌年のキャンプでチームから解雇。その後もメジャー復帰を目指してトレーニングを重ねましたが、結局7月9日に引退を発表。古巣ブルワーズと一日契約を結び、ブルワーズの選手としてユニフォームを脱ぎました。当初の期待からすると、決して満足のいく現役生活を送れたわけではありませんでしたが、ブルワーズで放った212本塁打は球団2位の記録。ファンに愛された現役生活でした。

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